「何が良いですか。上等な着物でも、刀でも何でも良いですよ。蓄えなら沢山あります。それとも……、……"自由になりたい"とかでも…………」
これが桜司郎を戦の無い世界へ逃す最後の機会なのだ。決して彼女の覚悟を疑っているものではなく、一人の男としてその幸せを願うがあまりの言葉だった。
背を向けられているが故に表情こそ見えないが、息を呑む気配がする。
「…………そうですね。叶うなら、空気の綺麗な田舎で暮らしたいです」
少しの間の後に呟かれたそれに、沖田は無意識のうちに眉を下げた。
──それはそうか、戦をしたい人間など居る訳がない。寂しくないと言えば嘘になるけれど、迎えが来る前にこの人を手放さねば…………。
そのような事を考えていると、突然桜司郎がくるりと身体を回転させる。
思ったよりも顔が近く、暗闇であってもその表情が分かった。
「なら、何も無いところでも構いません。雄性禿 海の近くでも、山でも……。田畑を耕して、近所の子どもたちに剣術を教えて暮らしましょう」
まるで夢を語るかの如く、優しい笑みを浮かべている。
当たり前のように、そこに自分がいることに沖田は目を丸くした。
「私……と?」
「勿論です。……そうすれば、先生の病の進行も少しは遅らせられるかも知れません。京の町は、療養には向いていません。松本法眼も言ってましたでしょ、空気の澄んだ田舎でのんびりと過ごすことが何よりの治療だと……」
沖田が新撰組から離れられないことを知った上でのである。病勢が進み、余命幾ばくもないと分かっているからこそ、少しでも生きられる道は無いのかと探してしまう。縋りたくなってしまうのだ。
この二日間は、桜司郎にとって何よりも平穏で望んだ日々だった。
普通の町娘と町人だったなら、これほど苦しむことは無かったのではないかと何度思ったか知れない。
──でも、誰かのために命を燃やして生きている沖田先生だからこそ、私はこれほど惹かれたのだろう。
そう分かっていても、どうしても諦めきれなかった。
──沖田先生とずっと一緒に居たい。
死んで欲しくない。
離れたくない──!
言葉に出来ない叫びが胸の中で弾ける。手を沖田の胸元へ当てれば、愛しい鼓動の音が伝わってきた。 その誠実で切なげな瞳を見詰めていると、心が揺れそうになる。
──それが叶うなら、どれだけ良いのだろう。どれだけ幸せなのだろう。
だが、沖田は浮かび上がる甘い夢を振り払うように目を瞑った。
「桜花さん、それは──」
これ以上の希望は互いに残酷なだけだと、諌めるように桜司郎の名を呼ぶ。しかし、沖田の寝巻を握る手に力が入った。
「ねえ、先生。そうしませんか……。そうしているうちに、きっと世の中は良くなっています。それを静かに待ちましょう……。先生が元気になったら、また隊に復帰すれば良い……!」
「……桜花さんッ!」
何時になく厳しい口調で言えば、息を飲む音と共に部屋に静寂が訪れる。
「それは出来ません。……いくら役に立たないとはいえ、新撰組がどうなるか分からない時に、私が抜ける訳にはいかないのです」
その言葉に、桜司郎は何かを堪えるように唇を噛んだ。涙が溢れないようにしているのか、目元が強ばる。やり切れなさに蓋をするように、無理矢理口角を上げて笑った。
「…………冗談ですよ。分かってます。沖田先生が、新撰組から……離れられないことくらい…………」
自分へ言い聞かせるような呟きだった。そのいじらしさが切なくて、哀しくて、やっと言った我儘すら叶えてやれない自分が情けなくて。沖田は涙が零れてしまいそうになった。
「御免なさい……」
「どうして謝るのです。無茶を言ったのは私です、沖田先生は悪くない。…………でも。いつか、いつかは───」
その言葉を遮るように、沖田は細い肩を引き寄せる。目の前には苦しそうな桜司郎の顔があった。吐息がかかる。
肩に回していた手を引き上げると、頬を撫でた。そうすれば我慢出来ないと言わんばかりに、潤んだ瞳からは雫が静かにはらりと流れる。
「いつかなんて、約束出来ません。それでも……それを望んでくれますか……?」
その問いかけに、桜司郎は視線を逸らすことなく小さく頷いた。
「…………大好きなんです、貴方のことが。こんなにも